大阪府南河内郡太子町(たいしちょう)の、科長神社(しながじんじゃ)南側の塚に祭られている、小野妹子のお墓です。 2つの説がある小野妹子のお墓の一つです。このお墓も、小野妹子の知名度から比べると、あまり知られていないのではないでしょうか。また、お墓は小さく質素なたたずまいです。普段は参られる方も少なく、とても静かなところです。科長神社は大きな通りからは少し入り込んだ処にあり、昔ながらの雰囲気を現代に残しているのではないでしょうか。
小野妹子は、華道の池坊の始祖とされ、このお墓も池坊によって大正11年に大修築され、現在も一年に一回、道祖小野妹子墓前祭が、執り行われています。
2007年は、小野妹子が遣隋使として隋の国に渡った西暦607年から、ちょうど1400年の節目の記念すべき年で、紫陽花の植樹が執り行われたりと、例年以上の賑わいとなりました。
今も尚、昔の日本の里山を思わせる、とてものどかな太子町。この地に、小野妹子のお墓が祀られています。
この地域は、古代より、奈良県の飛鳥「遠つ飛鳥(とおつあすか)」に対して、「近つ飛鳥(ちかつあすか)」と呼ばれております。
難波(なにわ)から見て近いという意味です。「古事記」にも記載されております
小野妹子のお墓がある辺りは、山田集落と呼ばれております。私の曽祖父がこの近くの穴虫という町の出身で、山田姓なのですが、関連性があるのかは未調査です。
小野妹子の墓は、滋賀県にもあります。
小野妹子公園という公園があり、その中に、妹子神社と唐臼山古墳(からうすやまこふん)があり、その唐臼山古墳が小野妹子の墓と伝えられています。ただし、小野妹子の墓である事を記した文献は、江戸時代より前のものは見つかっておりません。
近江のこの一帯は、地名にも小野の名が使われ、また、小野神社、小野篁神社(おのたかむらじんじゃ)、小野道風神社(おのどうふうじんじゃ)等があり、小野一族の出身地である事には間違いがありません。
小野妹子の墓が二つある事については、色々な説があり、 確定は出来ませんが、今後の研究の大きな課題です。
京都市左京区上高野西明寺山町の祟導神社の裏山に、小野妹子の子である小野毛人のお墓があります。小野毛人は、天武天皇に仕えた人で、小野妹子の子の中では、歴史に名を留めている人物です。677年死去。
京都六角堂(ろっかくどう)、正式名称は頂法寺(ちょうぼうじ)。
京都六角堂は、小野妹子が晩年を過した場所で、もっともゆかりのある地の一つです。
竹内街道(たけのうちかいどう)は、遣隋使や遣唐使、また大陸からの客人が行き来したと考えられる道であります。
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